お国自慢 > 奈良 > いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

2009年06月29日いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅
いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅







→周辺の地図を見る
平城宮跡⇒唐招提寺⇒薬師寺⇒奈良ホテル

”平城宮跡と西の京・唐招提寺と薬師寺をめぐる旅”をご紹介いたします。

平城宮跡は
日本の歴史にも関係していますので
ミニ知識としてお読みください。

興味ある方はじっくりと
興味ない方はさらっとどうぞ^^


平城宮跡

話は今から1300年程前にさかのぼります。
平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていました。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

当時、都は藤原京(今の橿原市)にありました。
この都を定めたのは持統天皇。
この天皇は天武天皇の皇后でもありました。

694年にこの藤原京へ遷都しましたが、元明天皇の時代に
奈良盆地の北側にある平城の地へ遷都する事となったのです。

遷都の年は710年。
来年がちょうど1300年となるのです。

その後784年、長岡京へ遷都されるまでの74年間、この地で
都があり、ここで政治の中枢として、天皇のお住まいが
ここにありました。

今回は奈良時代の中心として政治がおこなわれていたここ
奈良の平城宮跡をご紹介します。

平城京の中心である平城宮は、天皇の住まいである内裏と、
儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙から成り、
約120haの広さ (甲子園球場約30個の広さ)をもっています。

訪れますと、街の真ん中に遥か先まで伸びる広大な区域が
この平城宮であることを実感して頂けるはず。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

ここの空気を吸い、草花を観て、散歩をすることで、悠久の
時を感じとることができるはず。ぜひ遊歩道を楽しんで
頂くことをお勧めします。

現在、文化庁による遺跡の整備と建造物の復元を進めており、
1998年朱雀門が復元しました。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

また、来年の平城遷都1300年祭に合わせ、第一次大極殿の完成も
進められています。
2009年5月現在は、建物はほぼ完成しており、足場などの撤去作業が
残っているのみです。(内部の一般公開は2010年3月末ぐらいになるとか)

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

また、東端には、東院庭園がおかれ、当時宴などが催された
史跡も復元されています。 ここも見どころの一つ。
この東院庭園は今日の日本庭園の原型とされています。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

平城宮跡こちらの記事もご覧下さい
→奈良寺社を訪ねて:平城宮跡






唐招提寺

この平城宮跡から距離にして1.5km程西南には、井上靖/著「天平の甍」
で有名な 唐招提寺 があります。

このお寺の開祖は鑑真和上。

当時中国では国宝と言われる位の高僧でありながら、世界の東端
にある日本へ仏教の布教のために5度の失敗にも負けず、この
日本へやってこられました。

当初東大寺におられましたが、5年後の759年にこのお寺を開かれ
ました。

現在金堂は平成の大修理を行っており、今年(2009)秋落慶法要が
行われます。 写真は三尊像(毘盧舎那仏・千手観音・薬師如来仏)
の補修工事のため、フェンスが掛かり入ることができません。

しかし金堂の姿はしっかりと修理されており、美しい甍を観る
ことができます。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

金堂(国宝)の裏(北側)には、講堂(国宝)があります。
講堂は平城宮の東朝集殿を移築改装しているもの。
この建物内にも弥勒如来以下多数の国宝仏像が収められています。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

昨今、奈良国立博物館にて公開された鑑真和上像は、寺内奥の
御影堂にあり、公開は年間3日間しか観ることができません。
またこの建物は、興福寺旧一条院の宸殿遺構を復元移築したもの
で、重要文化財指定されています。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

御影堂の東には鑑真和上の廟堂(墓所)があります。
その空間は木立に囲まれ、静寂さと厳かさに包まれています。

他に奈良時代の校倉である宝蔵・経蔵(国宝)や、1240年に再建
された鼓楼(国宝)など、建築的にも美術的にも一級品が収められて
います。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

[唐招提寺の花々]
夏には ●蓮(ハス) 7月
秋には ●萩(ハギ) 9月

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

唐招提寺こちらの記事もご覧ください
→奈良寺社を訪ねて:唐招提寺

この唐招提寺さんの南門からまっすぐ南へ5分ほど歩くと、
薬師寺に到着します。 最後はこの薬師寺さんをご紹介します。






薬師寺

薬師寺は、壬申の乱で天智天皇の子である大友の皇子との戦いで
勝利を得た天武天皇が、680年に皇后の病気の治癒を願って発願
されました。

しかしその発願の六年後にご本人である天武天皇が崩御されて
しまいます。 

皇后はその後を継ぎ、持統天皇として即位。
夫の遺志を継いでこの薬師寺の造営を続けました。

発願後、十四年後の694年に完成。
という夫婦二人の想いが造らせたと言えるお寺がこの薬師寺です。

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

薬師寺は東西の塔を含む七堂伽藍を誇る大寺でしたが、973年の
火災と1528年の兵乱にて東塔を除くすべての建物が焼失しました。

東塔は1300年の風雪や火災などから逃れ、現在に残る数少ない
塔で、三重の塔としては日本最古の建築物です。

昭和に入って金堂(昭和51)と西塔(昭和56年)が復興されたことで
東西両塔と金堂の持つ伽藍が完成しました。

二つの塔は六枚の屋根を持ちますが、実際は三重で、それぞれ
裳腰と呼ばれる軒下の庇で、この裳腰を持つ美しさが最も美しい
塔と言われている由縁です。

金堂には御本尊である薬師如来と、向って右に日光菩薩、左に
月光菩薩の三尊像があります。(何れも国宝)

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅


度重なる災禍により現在は黒光りしていますが、当初は金色に
輝いていました。
是非、均整のとれた体と肌の弾力感、柔らかな線を見て下さい。

金堂の北側には講堂があります。規模は正面41m、奥行20m、
高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。

薬師寺は東塔以外、新しい建物の多数あるお寺ではありますが、
創建当時の様子を、現代の私たちが実際に観ることのできる
素晴らしいお寺です。

東塔の1300年の重み、創建当時の美しさを誇る西塔。
その二つが存在する時間を感じ取ってください。

なお、本年7月より東塔の解体修理が決まっています。

2010年には春と秋にはその姿は見れますが、それ以降約10年程
の修理期間となります。
観ることのできる今、足を運んでください。


いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅


[薬師寺の花々]
春には ●大山蓮華(オオヤマレンゲ)5月
夏には ●蓮(ハス) 7月


いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅


薬師寺こちらの記事もご覧下さい
→奈良寺社を訪ねて : 薬師寺




奈良ホテル

観光の後、旅の疲れをゆっくり癒してくださいませ
創業100年 皇室の方々もお泊りになる
歴史と伝統あるクラッシックホテル 

”憧れの奈良ホテル”といわれているだけあって
建物を拝見するだけでもその価値は充分あります!!

いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅いにしえの都*平城宮跡と西の京を巡る旅

レストランやカフェだけでもご利用できます。
お勧めです!!

★住所:〒630-8301 奈良県奈良市高畑町1096
★電話:0742-26-3300
★くわしい記事はこちらをご覧下さいませ
→宿泊ご利用編
→日帰りご利用編



→詳しい地域の情報はナラ咲くブログで。


同じカテゴリー(奈良)の記事画像
いにしえの都*ロマンチックな奈良の旅
同じカテゴリー(奈良)の記事
 いにしえの都*ロマンチックな奈良の旅 (2008-12-01 12:00)

Posted by @japan staff  at 12:00 │Comments(0)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。